|
|
|
私はお年寄の方が大好きです。
お客様でもお年寄の方と話をしていると、すごく和む事が
往々にしてあります。その方がどのような人生を歩んでこられたのか―。
生真面目な方は、年を取られてもこちらが恐縮するぐらい律儀です。
又、俗にいう遊んでこられた方は、おいくつになってもジョークで楽しませてくださる術を御存知です。
でも、お年寄の方に共通しているのは、何気ない言葉が人生の経験からくる重みを持って、
時には新鮮な驚きを、時には新たな知識をもたらしてくださる事です。
確かに、年を取ると動作が緩やかになり、すぐには行動に移せない事が多々あります。
でも、人間皆、誰でも年を取るんですよネ。それは肉体的には仕方のない事。
しかし、人生の先輩の頭の中には、私には計り知れない経験と知識が一杯です。
そしてそれが何もわからない赤子と同じように無邪気に可愛らしく(ゴメンナサイ!)私を幸せにしてくれます。
「温故知新」(古きをたずねて新しきを知る)― さる政治家が党の規則によって政界を去らねばならなくなった時、おっしゃっていた言葉ですが、「古きものを大切にする。」それができないのは、人間としての「傲り」だと思います。新しい事、若い事がすべていいとは限りません。
昨今、この業界でも大先輩が亡くなられたり、第一線を退かれているのは寂しい限りです。どんな業種でもいえる事かと思いますが、特にこの業界ではどのくらいの数のコインを見てきているかという経験と知識が大事だと思います。
そういう点からいえば、私などはまだまだヒヨコです。大先輩から教えていただきたい事がたくさんあります。世代交代も必要かも知れません。
しかし、20代の頃生意気で偉そうな事を言って、先輩方をあきれさせていただろう自分が、今となっては恥ずかしく思います。
「稲の穂は実をつけるほど頭をたれる。」その意味がやっとわかってきました。
私の祖母(社長の母)は、「淀君」と呼ばれていたくらい気丈なわがままな女性でした。90歳代で亡くなりましたが、横須賀店の店の奥の火鉢の前でピンと背筋を伸ばし、いつも店の方を見据えておりました。
晩年まで、隣の魚屋に買い物に行くときにも「私がみっともない姿をしていたら、ドラゴン商会の息子達に申し訳がない。」と、上から下まで、それこそ足袋まで全て衣装を取りかえるというプライドの高い女性でした。
その祖母がかなり年を取った頃、いとこと遊びに行くと、いつものように火鉢の前で背筋をピンと伸ばしテレビを見ながら
「うちのテレビは、2・5・7・9・11チャンネルが映らないけど、どうしてだろうねぇ。」
と、大きな瞳をさらに大きくして私を見つめました。思わず、
「うちのテレビもそうですよ。」
と答えると、納得したのかしないのか、わからないような面持ちで、テレビを見ていました。いつも恐い存在であった祖母が、こんな当たり前の事を訊ねるなんて、いとこと二人で
「ばあちゃんもボケちゃったかな?」
と笑ってしまいましたが、
「ちづる、私は地獄耳だよ。」
とピシッと言われました。純粋な疑問だったんですネ。
そして、最期は井土ヶ谷店の、今、私が寝起きしている部屋で老衰で天寿を全うしましたが、遺影は写真ではなく、年を取ってから画家に書いてもらったという肖像画で、日本人には珍しいブルーグレーがかった大きな瞳が、とても印象的で美しかった記憶があります。今でも時々夢の中に玉虫色の衣装をまとって出てきては、「ちづる、2・3日遊びに来たよ。」と、相変わらずドラゴン商会が気になるようです。
お年寄の孤独死が問題になっているある団地の自治会長さんが、「人の人生はそれぞれ歴史がある。それをこのような形で終わって欲しくない。」とおっしゃっていました。そう!人生には誰にでも歴史があるんです。私達は決してその事を忘れてはいけないと思います。
だから、私はお年寄が大好きです。
今年も「ちづるの独り言」をご愛読頂きまして、どうもありがとうございました。
コインや切手の話から、だいぶ横道にそれてしまった感がございますが、今、読み返してみると私の一年間の成長の証として、こんなコイン商が存在しても許していただけると嬉しいんですが―。
御意見・御感想などございましたら、ぜひお寄せ下さいませ。
来年もどうぞ「ドラゴン商会」をよろしくお願い致します。
|
|
|
名前: |
ちづる |
生年月日: |
年齢不祥(ということにしておいて) |
趣味: |
パチ○○(大きな声じゃ言えないが) |
好きな食べ物: |
お寿司・ライチ(楊貴妃が好んで食べたから) |
好きな時間: |
仕事が終わってビールを飲む時 |
|
|
|
|
|
|